『炎立つ』20140823

23日『炎立つ』を観てきました。
ネタバレが気になる方はご注意を。


カサラやコロスの唄、イシマルの語りから背景や情景を想像しながらキヨヒラ、イエヒラ、ユウ、キリたちに思いを寄せる。とても頭を使う舞台だった。


以前、原作本を読んだときに

2014-05-28 「炎立つ 弐/参/四」


器量もないのにまわりの人間に担ぎ上げられて、お山の大将となった家衡。兄・清衡の思いに気づけず、俺が!俺が!と突っ走った結果、母を失い、義家と清衡に兵糧攻めに遇い滅ぼされることになる。最期までかわいそうな人だったな。血に恵まれなかった人、というか、だれか抱きしめてあげて!と思ってしまうわ。母は生き延びるために清原に嫁いで家衡を産んだ。しかし、清衡を通して経清の遺志を思うばかり、兄も弟を愛しながらも清原に愛はない。だれも彼には向かっていないのだよね。悲しいなぁ。

というように書きました。今回舞台を観て、その姿がそのままイエヒラになっていて切なかった。最初から全身に力を込めてヨシイエにキヨヒラに怒りをぶつけて、ずっと怒りを腹に抱えたまま自分が頭領になるために画策し、母の愛を知ってももう戻れなかった。そして戦った。兵糧攻めに遇い本当の最期ボロボロになって、なぜ生まれた、なぜ生きたの言葉は痛かった。最期に母と旅立っていくとき、イエヒラの表情は見えない席だったので、惜しい。いい表情をしているそうで。次回は見られるかな。


三宅さんのイエヒラ、よかったのかどうか、となるとよくわかりません。が、今までにない演技を見られたことは確かです。チャラくない三宅さんを見たのは久しぶりかもしれないな。常に全身にチカラがギューッと入って、手もグッと握りっぱなしで(最期は開いたまますごくチカラ入ってた)、押し殺した低い声で。見ている私もチカラが入っちゃって疲れた……


アラハバキのそこにいるだけの存在感というのがすごかったけど、ヨシイエでかー!と思っちゃった。愛之助さんも三宅さんも小柄だから、益岡さんは背も高くてドーンと大きくてなんか、おぉ!と圧倒された。キヨヒラ、愛之助さん。「なんで」っていうところが一度関西弁の「なんで」になっててちょっとニヤッとしちゃった。思わず、でしょうかね。あとね、ツネキヨさんがかっこよかったですよ。幻の存在ですけどかっこいい!ここでそんなふうにツネキヨさんに出会えると思っていなかったのでうれしいわ。次回も楽しみだな。


次回は兵庫。深くごちゃごちゃ考えずに観てみたいと思います。